「今日俺の家に来ねぇ?」

 木谷 海晴の突然の提案に天使 羽留は顔を顰めた。
 その場に勿論和泉 雄飛に夢界 李音もいるのだが、顔を顰めたのは天使だけだ。
 それは木谷の家に行くと必ず勉強絡みで泣きつかれるからだ。
 その上、天使は木谷の両親が苦手だった。
 木谷の両親は普通と言えば普通なのだが、五月蝿い木谷の親である故に彼等は色んな意味で五月蝿い一家なのだ。
 
 天使はどちらかと言えば静かな方が好きだ。
 それなのに何故木谷や夢界との付き合いがあるかという事を周りは不自然に思っていた。
 理由としては高校初日で隣だからと言う理由で半ば強制的に仲良くなり、そのままずるずると今の関係に引き込まれているからだ。
 天使としては迷惑この上ないだろうが友達がいないよりかはましだろう。
 因みに和泉は何時の間にかこの、所謂仲良しグループの中に溶け込んでいた。

「いや、羽留君よ。今回は勉強の事じゃないぞ」
「前もそんな事を言ってたような気がするんだが。それに時期が時期だから信じられないな」

 彼等は現在期末テスト勉強に追われていた。
 そして学年順位を下から数えた方が早い木谷は何時も天使や夢界に泣きついている。
 和泉に聞くと何も言わず教えてはくれるのだが、途中で要らない豆知識を埋め込まれる事になる。

「別にボクは行っても良いと思うけどな」
「どうせついでに英語を教わろうとしてるんだろ。お前もハーフなら英語ぐらいちゃんとしろ」
「あ、それ偏見!ハーフだからって全ての人が喋れると思わないでよ。それに自分こそロシア語はどうなのよ」

 天使と夢界は今言ったようにハーフである。
 夢界はアメリカ人との、天使はロシア人との。
 ただ夢界の方は生まれた時から日本にいる為喋る機会が無く、いつも使っている日本語に順応している。
 天使はロシア人の母を持っていたが、彼が四歳の時に他界。
 それ故にロシア語は殆ど身につけてはいない。

「ロシア語は確かに離せないが、親がアメリカ人じゃなくても英語は出来る。どこぞのお子様と違ってね」
「こ、子供っていうな!ボクだって好きでこんな風に」
「その程度で怒るからお子様だって言ってるんだよ」

 夢界の文句を遮り、更なる皮肉を言う。
 本人にそのつもりは無く、普通に話しているのだが他人から見ると皮肉を言っているしか思えない。
 また、彼等にとってはこんな事は日常茶万事であり、木谷は早く終わらないかという表情を顔全体に現し、和泉は興味が無さそうに明後日の方向を向いている。

「で、お二人さん、そろそろ宜しいでしょうか」

 言い合いが収まってきた頃に木谷はそう切り出した。

「ん?ああ。お前の家に行くんだったか。何をするつもりなんだ」
「詳しい説明は後でするけど、パソコン関連だな」

 木谷は一瞬だけ悪戯っぽい笑みを夢界に向けたが、夢界は先程の天使の言い争いにまだ文句を小声で言っていたので気づいてはいない。

「雄飛も来るだろ?」
「ああ」

 朝の「おはよう」を覗けば先程の相打ちが和泉にとって今日始めての言葉だった。




「ただいま」

 やる気の無い声が家に響いた。
 誰もいないのか、返事は無い。
 そう思っていた時に奥の方から聞き取り難い声が聞こえた。

「母さん、また寝てるな」
「いつもの事でしょ。でも起きてる時は凄い五月蝿いよね」

 苦笑しながらも木谷は三人は入るように促した。
 その後二階の自分の部屋に案内し、また下に降りた。
 恐らく自分の母親を起こしにいったのだろう。
 そう判断した天使は腰を下ろし、くつろぎ始めた。
 夢界も同じように腰を下ろす。
 和泉と言えば、既に木谷の本棚から漫画を取り出していて、天使達に背を向けながら読み耽っていた。

 階段を人が上がる音が聞こえる。
 一人だけでは無く二人なのは音で分かる。
 先程起こしに行ったばかりだが以外に早く起きる事が出来たらしい。

 ドアが開くと同時に底なしに明るい笑顔が飛び込んできた。

「いらっしゃい李音ちゃん、雄飛ちゃん、羽留ちゃん」

 笑いながらそう挨拶してきた。
 
「こんにちは。あの、そのちゃん付けいい加減に止めてくれませんか?」
「あら良いじゃない。女の子っぽくて」

 ケラケラと笑いながら言う木谷の母親。
 言われたのが李音ならまだ良いのだが、言われたのは天使の方だった。

「羽留ちゃんは腕も細いし肌は白いし、おまけに名前も女の子で通じるから女装したら似合いそうね」

 悪戯っぽい目が光ったような錯覚。
 天使が嫌がると知っていて言うのだから性質が悪い。
 彼女にとって自分の息子もそうだが、他人の子供すらも玩具扱いするのだ。

「母さん、いきなり羽留を困らせるな。って言うか入るな」

 後ろにいた木谷が自分の母親を強引にどかし部屋に入る。

「はいはい、年寄りは下でお茶でも啜っています。李音ちゃん、襲われないように気を付けなさね」

 笑いながら台風は去って行った。
 一方夢界は顔を赤くして何やら呟いている。

「誰がガキを襲うんだか」

 一秒後には夢界のローキックが見事に和泉の脇に入っていた。

「……それで、何の為に呼んだんだ」

 悶絶している和泉は放っておき、天使は目的を尋ねる。
 それを聞いてさも今思い出したと言わんばかりに手を叩く。
 木谷は自分の机に近づきノートパソコンを持って来て、床に置いて直ぐに立ち上げる。
 ノートパソコンは古いからか、起動が非常に遅い。
 しかも機械音が鈍く、壊れるのでは無いかと思えるほどだ。

「遅いな」
「古いんだよ」

 少し、情けない声で木谷は言い返した。
 暫くして起動準備が終了し、最初の画面が現れた。
 木谷はマウスを操作し、ある一つのフォルダを開く。
 そこには一つだけ.jpgとしか書かれていないファイルが置いてあった。

「これなんだけどさ、最近ネットで噂になってる写真なんだ」

 悶絶している和泉とお菓子を食べ初めている夢界を呼び、ファイルを開ける。
 ファイルの中身は木谷の言ったように写真だった。
 写真は墓の真中に女が座っているだけだった。
 それだけなら普通の写真なのだが、女は青白く目は据わっておりまるで死んでいるようだった。
 女は腕を空中で静止させているが、何かを抱きかかえているようにも見える。

「これな、突然人のパソコンに現れるからウイルスとか言われてるんだけど、尾ひれがついて色々噂になってるんだ」
「どんな?」
「ん、この写真を見たら必ずこの女に殺されるって」

 それ程大した反応は誰も見せなかった。
 四人で集まっている上、外もまだ明るいせいもあるが、噂が淡白過ぎて怖くないのだ。
 だがその時だ、一瞬画面が揺れると同時に、ほんの一瞬だけ女が消えた。
 一瞬という短い間だが全員消えたのは確かに確認している。

「な、何?今の」
「……さあ」

 余り怖く無かった物が、先程の事で一気に夢界を恐怖に晒している。

「何だろう、古いからかな?」

 文句を言いながら木谷は李音の方を向いた。
 そして驚いたように夢界の後ろを指差す。

「李音!後ろ!」
「え!?」

 振り向くと同時にそこから飛び退く。
 しかし後ろには誰もおらず、ドアが見えただけだ。

「ははは、やっぱお前面白い」

 騙されたと分かった夢界は顔を赤くし、内心の動揺を隠すように木谷を蹴った。
 天使はそれを見ており、和泉はまた漫画に戻っていた。
 だから画面の女の目が動いた事に誰も気づく事は無かった。

「あ〜もう!ゲームやろゲーム」

 そう言いながら木谷の持っているゲーム機を出そうとする。

「ちょっと待て、お前さっき油っこい物食っただろ。先に手を洗え」
「分かった。……あのさ、えっと、その」
「ん?怖いから一緒に来て欲しいのか?」

 笑った木谷をもう一度蹴りはするが、やはり一緒に来て欲しかったらしく、少し待った後に二人は下に降りた。
 部屋では依然和泉は漫画を読んでいる。 
 天使は漫画を読む気にもなれず何となくパソコンの写真を見ている。

 その時だった。
 写真の中の女がピクリと動いたように見えたのだ。
 最初は見間違いだと思ったがそうでは無く今少しずつ動いている。
 顔が徐徐に此方へ向けられ、手が此方に向かってくる。

 最初はただの動画だと思っていた。
 だが此方に近づくにつれ、手はリアルに大きくなって行く。
 そしてついに、手が画面から出てきたのだ。

 見ている天使は目が疲れたのだろうと思い、目を瞑ろうとするが、何故か閉じない。
 それどころか体が動かせないのだ。
 指先や目線すら動かせず声すら出せない。
 そんな異常な状態に陥っていた。
 和泉は漫画を読んだまま此方に背中を向けているので気づいてはいない。

 女の手はゆっくりと天使に近づいていく。
 幾分距離はあるがもう少しすれば頬に手が触れるだろう。
 女の青白い手は正に死んでいるようで気持ち悪い。
 更に画面の中の女の目は血走っていた。

 後数センチで手が頬に届く。
 そう思われた時に扉が音を立てた。
 その瞬間にパソコンの中に戻っていく女の手。
 そして木谷と夢界が部屋に入って来たときには女は元の体勢に戻っていた。

「羽留、どした?」
「……いや、何でもない」

 知らず内に天使は冷や汗を掻いているのに気づいた。
 あれはなんだったのだろうか。
 そう思ったが答えは見つからない。
 ただ心霊現象や非現実な事を根っから信じない天使は直ぐに見間違えだと判断した。
 その深い根の先では考えこんでいる自分に気づかずに。

「なんだ、汗掻いて。変な奴。それよりも下にコーラがあるから取って来い」
「何で俺が」
「何となくだ何となく。気にするな」

 そう言って木谷は豪快に笑い飛ばした。
 天使も別に取りに行かない理由も無いので文句を言いつつも下に降りる。

「雄飛、お前も取って来い」
「ああ」

 うっそりと立ち上がり、天使に続いて降りていく。

「ボクもやっぱり欲しい」
「何だお前。さっきはいらないって言ってたのに」
「やっぱり欲しくなったの」

 少し怒ったように言いながら二人に続いて夢界も降りていく。
 苦笑しながらもドアを閉め、パソコンを見る。
 そこで木谷は体が、表情までも固まった。



 天使はどうするべきか迷っていた。
 コーラを取ってこいと言われたが、台所にもテーブルの上にも置いてないのだ。

「どこにあるんだ」
「冷蔵庫の中だろ」

 後ろからやってきた和泉は淡々とそう言い、勝手に冷蔵庫を開けた。

「おい」
「ん?」

 天使は注意をしようとしていたのだが、止めた。
 今更怒る気になれなかったからだ。

「何勝手に人の家の冷蔵庫開けてんの」

 後ろを向くと夢界が腰に手をやり、呆れたような、怒ったような表情で立っていた。
 天使はそうしたい気持ちは良く分かるが、今更言ったところでどうしようも無い。

「別にここはお前の家じゃないし、どうでも良いだろ」
「良くない!普通人の家なんだから最低限のマナーがあるでしょ!」
「俺はそんなの知らない」

 夢界は喚いているが和泉は適当に言い返している。
 適当なのが気に障っているのだろう、夢界の声はどんどん大きくなっていく。

「止めろ。近所迷惑だ」

 ハッと気づき、夢界は顔を赤らめた。
 しかし恥ずかしがりながらも和泉を睨むのは止めていない。

「ほら、さっさと上行くぞ」

 天使が促すと二人も無言で付いてくる。
 和泉は興味が無さげに。
 夢界は和泉を睨みながら。

 今更だから別にどうでもいい気がしたが、敢えて天使はドアをノックした。
 しかし何時まで経っても返事は無い。
 一瞬、天使の脳裏にあの女の手が過ぎるが、直ぐに打ち消した。
 有り得ないと決め付けて。

 とりあえずこのままでは埒が明かないので部屋を空ける。
 中には誰もいない。

「トイレかな?」

 夢界がそう言うがトイレに行くには下に行くので、三人が気づかない訳は無い。

「身投げでもしたんだろ」

 鼻で笑いながら木谷をけなす。
 心底和泉の言った事は有り得ないと思いながら、本当に木谷はどこへ行ったのかと考える。

 ふと、目線を下に向けると、依然としてノートパソコンが置いてあった。
 ただ画面の様子は此処を出た時よりかなりおかしくなっている。
 画面が揺れているのだ。
 
 天使の目線に気づき二人もパソコンを見る。

「なんだこれ」
「壊れたんじゃない?」

 緊張感の欠片も無い。

 揺れて見え難いが、天使は一瞬だけ何が映っているのか見えた。
 先程女が座っている墓が画面全体に映っている。
 揺れが激しいせいか女の姿は見えなかった。

 突然、パソコンが電子音と共に電源が切れた。

「何これ」

 人一倍こういう現象が嫌いな夢界は少し怯えた表情になった。
 天使はそう言う事は全く信じないが、多少胸に引っ掛かりを覚えている。

 それぞれ怪訝にパソコンを見ているが、突然パソコンがまた起動し始めた。
 だが、最初にみたノロノロとした立ち上がり方は無く、変わりに画像が画面全体に写された。

 それを見た夢界は悲鳴を上げながら和泉と天使の後ろに隠れる。

 画面に映っていたのは先程の墓と女だ。
 その女の腕の中には赤子のように抱き締められている首があらぬ方向に曲がっている木谷だった。