宿に入るとバーグは露骨に顔を顰めた。まず目に入った物は階段の横でこちらを座りながら見ているローベルフがいたからだ。どうやら彼を投げた後にこの宿で休んでいたらしい。

「終わったようだな」
「お前……いや良い」

怒る気も失せたのか、肩を竦ませる。そのまま受け付けをと思いカウンターに行くが、直ぐに立ち止まる。カウンターには誰も居ない。何故か。野次馬として先程の騒動を見ていたのだろう。他に用事があったのかもしれないが。

「いや、しかし驚いたな。あれは一体誰だったんだ?」
「そんな事僕は知りませんよ。それよりあなたは仕事があるんでしょう?ほっといて良いんですか?」
「だから今戻ろうとしているんだ」

外からの声にバーグは瞬時に直感した。宿の主人が戻って来たのだと。どうせだから出迎えてやろうかと思ったのか、入り口に向かうが突然前触れも無く止まる。そして無言でローベルフに歩み寄る。

「良いか、お前は狼だ。喋ったりしたら後々面倒な事になりかねん。だからお前は唸る、吠える、鳴くのどれかにしろ」

その命令にローベルフは吠えた。狼の、堂々とした声で。

それに満足したのか、バーグは入り口に向き直る。そしてまた顔を顰めた。入り口を見ると何とも良言い難い顔をしている男が二人。一人は宿の主人だろう。年齢は40かそこらだ。そしてもう一人は、先程バーグが財布をスッた男である。

ローベルフが後ろで小さく吠えるが即座にバーグは睨みつけて黙らせた。そして二人に向き直ると歩み寄る。

「すいません、ここに泊まりたいんですけど」
「……え、ああ。はい。では此方の宿帳にお名前をお書きください」

我に返った宿主はテキパキと仕事を再開する。ちらちらとバーグを見るのは気のせいでは無いが。バーグと言えば知らぬ顔で渡された宿帳に名前を書く。そして言われた値段を払おうと、ポケットから財布を出しかける。しかしそこでバーグは気づいた。そこにまだ本当の財布の持ち主がいることに。

ローベルフはどうするのかという目でバーグを見る。バーグは咄嗟に財布では無く、お金だけを取り出した。スリの技を応用したのだろう。そんな事を応用しないで欲しいものだが。

その後、バーグとローベルフは部屋に案内され、ローベルフは床に座り、バーグは椅子に勢い良く座り込んだ。宿主は御ゆっくりと言い残し、部屋から出て行く。

「……主は外道か」
「最高の誉め言葉をありがとう」

早々と椅子から離れ、ベッドに横たわっているバーグは窓の外を見ながらそう答えた。ローベルフも疲れたのか、溜息を吐いて目を閉じる。空はまだ赤くなり始めている時だというのに。



目を覚ました理由はドアをノックする音と美味しそうな料理の香りにつられたからだ。目を擦りながらドアを開けると案の定、宿の主人が夕ご飯が出来ましたと伝えて下に下りて行く。

ローベルフを起して下に下りると机には沢山の料理、そして料理を食べる老若男女。開いている席に腰掛け、空いている席に座る。

食べている時に隣を一度見てみる。そして直ぐに視点を料理に戻して急いで食べる。額には気のせいか、少量の冷や汗がついていた。隣の男は偶然か必然か、バーグが財布をスッた男である。

「そう言えばさ、今日いつの間にか財布が無くなってたんだよ」

その言葉に思わずバーグは吹き出した。

「ど、どうかしましたか?」

誰でも気になるであろう。男は当然の質問をする。

「い、いや。こいつがこの唐辛子を瓶ごと食おうとして」

いつの間にやら持っていた唐辛子を男に見せてローベルフを見る。ローベルフの目には少なからず炎が灯っている。睨み返し、男に謝って早々と食べる。

「それにしてもいつ無くなったんだろうなぁ。ヘルタイガーの奴等はスリなんかしないで力ずくで盗るし。やっぱり無くしたのかな」

居心地は悪くなっていく一方。その心境を表すようにバーグの食のスピードは上がって行く。ローベルフは逆に素知らぬ顔で肉を食べている。

その後、五分で夕飯を済ませ、ふらつきながら自室へ戻る。ローベルフはその場に残ろうとしたが、肉ーを強制的に取り上げられ、連行される。因みに肉はバーグの左手に納まっている。勿論皿の上にある。

あれだけの事で疲れたのか、部屋に入るなり床にぶっきらぼうに皿を置き、真っ直ぐベッドに向かった。

眠ろうとうとうとしている時だ。突然ドアがノックされる。かなり嫌そうだが、ベッドから起きてドアを開ける。そこにいたのは宿主と見知らぬ老人である。

「今晩は夜分遅くすいません」
「全くだ」

小声で言うバーグ。聞こえないと思ったのだろう、が。

「何か、言いましたかな?」
「い、いや何も。それより中へどうぞ」

慌てて言い繕う。そして二人を部屋に招きいれ、椅子に座らせた。老人は息を吐き、そして喋り始めた。

「あなたが、今日の昼、ヘルタイガーの一味を追い返された方でしょうか」
「ヘルタイガー、今日の昼……ああ、あいつら」

どうやらバーグの脳内からは忘れられていたようだ。

「やはりあなたが。折り入ってお願いがあります。ヘルタイガーの一味を退治して欲しいのです」

宿主と老人は同時に頭を下げた。バーグは目を瞑り、思案に耽る。沈黙が続く中、バーグが口を開く。

「残念ですが、俺も急いでいるので。明日の朝には発たないと」

ローベルフがバーグを驚いた顔で見るがバーグは表情を変えない。二人も驚いたような顔をし、溜息をついて席を立つ。

バーグは申し訳ありませんと良いながらドアまで二人を案内する。そこで老人がポツリと一言漏らす。

「残念です。成功したら我が村の宝を差し上げようと思ったのですが」

刹那、バーグの耳が宝という言葉に敏感に反応した。そしてドアから出ようとする二人の前に立ちはだかる。

「やはり思い直しました。俺も人間の一人です。見事ヘルタイガーを退治して差し上げよう」
「や、しかしあなたは明日発ってしまわれるのでは」

心なしか、両者芝居が掛かっているような気がする。バーグに至っては言葉も改まっている。

ローベルフはもう知らぬと言わんばかりに遠くを見ている。既に疲れ切っているようだ。

「いやいや、朝早くに退治しに行けば問題等ありません。必ずや成し遂げて進ぜよう」
「おお、それは助かります。では、期待していますよ」

両者、怪しく笑いながら別れの挨拶を良い、老人と宿主は部屋から出ていった。バーグは二人が出て行ったら直ぐにナイフを取り出し手入れを始める。先程の面倒臭そうな表情とは一変して活き活きとしている。

そんなバーグを見てローベルフが一言漏らす。

「現金な奴だな」

その言葉を涼しい顔で受け流し、丹念にナイフを手入れする。ローベルフは既に処置なしと見たか、目を瞑って寝始めた。



朝、まだ空は白み始めてもいないが宿から出る二つの影が見受けられる。バーグとローベルフだ。まだ村人は誰も起きておらず、村は静かだ。

宿を出て数歩歩き、突如としてローベルフが立ち止まる。それに気づき、バーグも数秒遅れで立ち止まった。

「一つ聞くが、主はアジトが何処にあるのか知っておるのか?」
「知らねぇ。けど昨日逃げて言った奴が南の方に向かってったからそっちの方に向かえば何とかなるだろ」

余り頼りに出来無い話ではあるが、村人が誰も起きていない今、バーグの言う通りにするしか無いだろう。彼等はひとまず村を出て、南へ向かう。

歩いていると、斜面になって来ている事に気づく。同時にヘルタイガーとは山賊だと言う事をバーグは思い出した。まだ分からないが間違ってはいないだろうと勝手に決め付け、山道を進む。

やはり正直に山道が続いている訳は無く、途中で山道は途切れていた。そこでローベルフの鼻を頼りに、人が居る方へと進んで行く。

気づけば川に沿って歩いていた。別にそれがどうとは言わないが。川上に向かっていると、滝があり、隣の崖には不自然に岩の足場が所々にあった。

ローベルフは器用に足場へと飛び移り登って行く。バーグもそれに倣って登り始める。

特に障害も無く、登り切り、また奥へと進んで行く。そしてそれから数分後、突如ローベルフが歩みを止める。直後、左右から数本の矢が飛んで来た。

「お出ましだ」

軽い一言を良い、矢を全て交わす。そしてローベルフは右へ、バーグは左へと走る。

バーグは矢が飛んで来たと思われる一本の木に狙いを絞り、一気に距離を詰める。ばれたのが分かったらしく、矢を打ちながら木から飛び降りる男。

打った矢は全てナイフで弾かれ、男は弓を捨てて腰から剣を引き抜く。

一直線に向かって来るバーグを捉え、剣を振り下ろすが、バーグは右に避け、後ろに回りこむと首筋に手刀を打ち込む。

が、気絶するには至らなかったようで、男は剣を後ろに振り回す。それを読み、バーグはしゃがんで男の足を払い、バランスを崩した時に後頭部を拳で強打する。

今度こそ気を失った男は地面に倒れた。

安心する暇も無く、左右から二本の矢が放たれる。一歩後ろに下がり、先程立っていた所に刺さっている矢を引き抜き、飛んで来た方に矢を投げる。

しかし悲鳴も何も聞こえずに、また矢を放たれる。短く舌打ちし、矢の飛んで来た方へ走る。木の上を見ると、バーグを狙っている男が見えた。もう一本持っていた矢を投げ、男の腕に刺す。が、やはり投げただけではそれ程の力は無く、浅い傷となっただけだった。

それで駄目ならと木に登ろうとするが、男が矢を打ち、邪魔をする。

余裕の表情で男はバーグを見るが、バーグは持っているナイフを男に投げる。ナイフは正確に男の肩を捉え、痛みにより弓を落とした。下を見ると今度は石が飛んで来て、男の顎に当たる。

「ナイスショットってか」

自画自賛し、落ちてきた男の肩に刺さっているナイフを抜き取る。そしてもう一人いるであろう、反対側の木に向かう。

突然、上から何かが落ちてきた。否、降りて来た。弓を構えた男は至近距離で矢を放つ。

一瞬早く、男の隣から何かが飛び込んで来た。ローベルフである。鋭い爪で腕を裂き、足を噛む。絶叫して男はその場に倒れ込んだ。足と利き手をやられた状態では何も出来無いであろう。

「ふう、助かった。サンキュ」
「ふん、もう少し気をつける事だな。それより」

ローベルフの言葉は続かずに、代わりに爆音が響いた。隣に立っていた木は倒れ、砂埃の向こう側には人影が映っている。

砂埃が晴れると、そこには大柄な男が立っていた。ボロボロのシャツとズボンを着てはいるが、その体からは威圧感が溢れていた。

「俺達ヘルタイガーに喧嘩を売るとは良い度胸だ。といっても俺としてはこのグローブを使える良い機会だがな。村人に使えば契約違反になるから今回は存分に使えるぜ」
「訳分かんねぇ事言ってると怪我するぞ」

言い終わるが早いかバーグは既に男との距離を詰めていた。が、男は後ろに下がり、拳を振るう。それをしゃがんで避けてそのまま攻撃に移ろうとするが、右隣で爆音が聞こえると同時にバーグの動きが止まる。

右をゆっくりと向くと男のグローブからは煙が出ており、岩が半壊していた。

驚いている時に男は裏拳でバーグを狙う。後ろに下がって避けるがそのまま向かおうとはせずにローベルフの元へ下がる。

「何だあれ。当たったら一発であの世に逝きそうな気がする」
「確かに油断は禁物だな。あの男を上回るスピードで……」
「逃げるのか?」

バーグの一言で固まるローベルフ。ブリキの人形のように首をバーグの方に向ける。

「逃げるわけ無かろう。スピードであやつに対抗するのだ」
「だってよ、俺まだ死にたくないし」
「良いから行け!」

また投げられるバーグ。そこでローベルフはしまったと思った。空中では身動きが取れず、即ち的と同じだ。案の定、男はバーグを狙い、拳を振るう。が、バーグは途中で枝に捕まり、一回転して男の頭上に飛び上がる。そして男の後頭部を踵で蹴りつけた。

また一回転して着地したバーグは直ぐに男を見る。先程の蹴りは全く効いておらず、直ぐにバーグに向き直り、拳を振るう。紙一重で避け、後ろへ下がる。

ローベルフが後ろから爪で攻撃しようとするが、男はその行動を分かっていたように避ける。今度はローベルフに狙いを定めるが、次にはバーグの拳が迫っていた。

男はバーグの拳を受け止め、そのまま掴む。そして身動きが取れなくなったバーグの腹部に拳を叩き込む。

爆音と共にバーグは吹き飛んだ。そのまま後ろの木に叩きつけられる。

「バーグ!」

ローベルフが叫ぶが既に男はバーグにもう一撃を入れる。

「貴様、動けぬ者に拳を向けるか」
「ふん、狼が何で喋れるのかしらねぇが、俺達には動けねぇ奴を殴っちゃいけねぇ何てルールは無いんだよ」

はき捨てるように男は言った。そして今度はローベルフの方へ向かって行く。

「全くその通りだな。勝負に卑怯も糞もねぇ」

そう答えたのはバーグだった。男はゆっくりと後ろを振り向く。そこには今にも倒れそうなバーグが立っていた。

「あの二撃を喰らっても生きているか。予想以上にしぶといな」
「いや全く、何で生きてるのか自分でも不思議だね。それより、まだ勝負は終わってねぇ」

そう言って、バーグは男に向かって行く。そして頼り無く拳を突き出し、簡単に避けられる。が、バーグは拳を開き、持っていた砂を男の目に掛ける。

「ぐぁ。目が見えん。小僧!」
「五月蝿い黙れさっさとくたばれ」

適当に振るった男の拳を避け、足払いを仕掛ける。そして倒れた男に、その辺に落ちていた太い木で腹部を何度も叩く。叩く度に男の絶叫が山に木霊する。

何回目だっただろうか。男は気絶していた。それを確認するとバーグは木を捨て、ガッツポーズを取る。

「ぬ、主は悪魔か」
「最高の誉め言葉をありがとう」

いつか聞いた事がある台詞で返し、気絶した男の隣に座り込んだ。丁度朝焼けが綺麗な時刻だった。